西鉄久留米
地域活動 政治活動

後援会活動を進める中で、多くの方から「なぜ、政治を目指そうと思ったのか?」と聞かれることが多く、何回かに分けてここに書くことにします。今回は、私が掲げている4つの目標の4番目、「経済」についてです。

今から50年前。東町で生まれた私にとって、西鉄駅前から一番街、二番街、六ツ門へと続く商店街は活気ある久留米市の象徴でした。祖父が一番街の理事長に就任し、アーケードの全面改修を行った頃、西鉄久留米から続く商店街はいつも人が溢れ、映画館が10軒近くあり、物販や飲食など多くのお店で賑わっていました。
父が駅前商店街の理事長だった1995年に実家に戻った私は、父の経営する飲食店の店長をしながら、土曜夜市などの商店街の活動に参加させてもらい、地域で商売を営む多くの方々と交流するようになりました。まだまだ商店街に元気があったころで、私達若手は先輩方から可愛がって頂いたものです。

その後、「IT業界で仕事をしたい」という私の希望で、父の会社を退職。1998年に東京のシステム開発会社に転職した私は、結婚後、長男の誕生を機に2003年に久留米に戻ってきました。ちょうど、東合川町に大型商業施設がオープンし、人の流れが大きく変わった年でした。

それからの商店街の状況は、皆さんもよくご存知の事と思います。
どこか遠い街の話だと思っていた「シャッター街」に向かって中心市街地が衰退していく。まずは映画館がなくなり、次に物販店がなくなり、飲食店も次々と閉店していく。10年ちょっとで、私の知る中心市街地は完全に形を変えてしまいました。昔から知っていたお店はほとんどなくなってしまいました。
最近、いくつかの飲食店が進出して、多少賑わいが戻ってきていますが、土曜夜市の人出と比較すると、この街が持っているポテンシャルはまだまだこんなものではないと思います。

昔ながらの「商店街」として、私が幼いころのような形にはならないと思いますが、時代に即して形を変えながら、新しい形の都心部の在り方を模索していかなければなりません。天神ビッグバンと呼ばれる福岡天神地区の再開発が進む中、天神の真似事では全く太刀打ちできないと考えています。久留米という町の役割を再考し、その玄関口である西鉄駅前から六ツ門に向かう都心部がどうあるべきか、どのような商圏として成り立たせて行くかを、その土地の所有者である地権者を交え、しっかりと考えて行く必要があります。一つのビル、一つのテナントという「個」ではなく、「全体」を見通した街づくりを進めるために、久留米市としても積極的に参画すべきだと考えます。

西鉄駅前から続く中心市街地は、久留米市の象徴であり、この再開発及び発展は久留米市全体の更なる飛躍の為の絶対条件であると考えます。今こそ、久留米市が先陣を切って中心市街地の再開発を推進すべき時であると考え、それを実現するために、市政への取り組みを始めました。


井上 東洋